診断書をもらった日のことを、今ここで改めて書いてみようと思います。あの日のことは、記憶がはっきりしている部分とひどく曖昧な部分が混在していて、正直なところ、何度振り返っても「どこかぼんやりした出来事」として頭の中に残っています。でも、だからこそ書き残しておきたい気持ちがあります。
この記事は、うつで休職中の筆者が、自分の体験をもとに書いたものです。医療的なアドバイスや、診断・治療に関わる専門的な情報ではありません。あくまで「こういう気持ちだった人間がいた」という一つの記録として読んでいただけたら、と思います。同じような状況にある方に、少しでも「一人じゃないかもしれない」と感じていただければ、それだけで十分です。
診断書をもらった日のこと、その前に何があったか
あの日に至るまでには、じわじわとした変化がありました。最初は「ちょっと疲れているだけ」と思っていたのです。朝起きるのがつらい。職場に向かう電車の中で気持ちが重い。そういうことは、社会人であれば誰でも経験することだと思っていましたし、自分だけが特別につらいわけではないと、ずっとやり過ごしていました。
それが崩れたのは、職場で涙が出てしまったときです。特に激しい出来事があったわけではありませんでした。それなのに、気がついたら目に涙がたまっていて、自分でも驚いてしまいました。「これはまずい」と感じたのを今でも覚えています。涙が出るというのは、体や心が限界を知らせるサインだったのだと、今になれば思います。でも当時はそういう言葉では理解できていなくて、ただただ「なんで自分はこんなに弱いんだろう」という気持ちでいっぱいでした。
心療内科を受診しようと決めるまでにも、少し時間がかかりました。「受診するほどのことではないかもしれない」「忙しい時期だから仕方ない」「もう少し踏ん張れるはず」という気持ちが何度も頭をよぎりました。心療内科や精神科に対して、自分でも気づかないうちに「そこまで行くのは大げさだ」というような、奇妙な敷居の高さを感じていたのかもしれません。
でも実際に受診してみると、先生はとても落ち着いた話し方で、「よく来てくれましたね」と言ってくれました。問診票に答えながら、今の自分の状態を少しずつ言葉にしていくと、なんだか長い間かかえていたものを、ほんの少し下ろしてもらったような感覚がありました。泣きそうになりながら受診したことを、今でも断片的に覚えています。
そして、診断を受け、診断書を書いてもらいました。先生から「しばらく休みましょう」と言われたとき、自分の中でとっさに出てきたのは「ほっとした」という感覚でした。苦しくて、怖くて、混乱していたはずなのに。今考えると、それはずっと張り詰めていたものが、「休んでいいですよ」という言葉で少しだけ緩んだ瞬間だったのかもしれません。
ただ、「ほっとした」と同時に、罪悪感のようなものもすぐにやってきました。「これで仕事を休む理由ができてしまった」という、妙な感覚です。うれしいわけでも、喜んでいるわけでもない。でも「休める」という事実に、どこかで安堵している自分がいる。その矛盾した気持ちを、どう受け止めればよいのか、その場ではわかりませんでした。
診断書をもらった日のこと、その後の記憶が曖昧なわけ
休職が始まってからしばらくの間、記憶がとても曖昧です。何日間かが、まるごとぼんやりとかすんでいるような感覚があります。眠っていたのか、起きていたのか、何を食べていたのか。確かなことがほとんどない。「休めてよかった」という気持ちよりも先に、ただ眠くて、動けなくて、頭が働かないという状態が続いていました。
はじめのうちは、それが「休養」なのだということが自分でもわかりませんでした。一日中横になっているのに罪悪感があって、「こんなことをしていていいのか」と繰り返し思っていました。好きだったことに手が伸びないし、テレビをつけても内容が頭に入らない。それでも「もっとがんばらなければ」という気持ちがどこかにあって、自分でも不思議なくらいでした。
今振り返れば、あの眠ってばかりいた時期は、体が本当に必要としていた休息だったのだと思います。でもその渦中にいるときには、そうは受け取れませんでした。「怠けている」「情けない」「もっとしっかりしなければ」という言葉が、頭の中でずっとぐるぐるしていました。
夫がそばにいてくれたことは、大きな支えでした。何かをしてもらうというよりも、ただそこにいてくれる、という存在が、あの時期の自分にとってはとても大切なものでした。「申し訳ない」という気持ちは何度も湧いてきましたが、夫は特に責めることもなく、静かに一緒にいてくれました。そういう時間があったことを、今でもありがたいと思っています。
休職中に「休んでいていいのだ」と心から感じられるようになるまでには、かなり時間がかかりました。正直なところ、今でも完全にそう思えているわけではありません。「ちゃんと休めているのだろうか」「もっと早く元の自分に戻れるはずではないか」という焦りは、形を変えながら今も顔を出してきます。
自分を責める気持ちというのは、なかなかしぶとくて、「休んでいいですよ」と言われたからといって、すぐに消えてくれるものではありませんでした。診断書をもらってからも、「情けない」「周りに申し訳ない」という感覚は続いていました。むしろ、休んでいることで余計に時間が生まれて、自分を責める時間も増えてしまったくらいです。
それでも、今こうして振り返ると、「あのとき受診したことは正しかった」と感じています。「正しかった」というのは、「うまくいった」という意味ではなくて、「必要なことを、必要なタイミングでした」という意味です。あの職場での涙がなければ、もっと長い間、自分の状態に気づかないでいたかもしれません。
診断書をもらった日のこと、そして早すぎた職場復帰の話
休んでいるうちに、少しずつ動けるようになってくる時期がありました。朝起きられるようになって、ご飯が食べられるようになって、短い外出ができるようになって。そうすると「もう大丈夫なのではないか」という気持ちが出てきました。それと同時に「早く戻らなければ」という焦りも強くなってきました。
職場への申し訳なさは、休んでいる間もずっとありました。自分が抜けた分だけ、誰かに負担がかかっている。それを思うと、「少し調子が戻ってきたなら、もう戻るべきだ」という結論に、自然と辿り着いてしまいました。でも今から思えば、「少し動けるようになった」ことと「元の状態に戻った」ことは、まったく違います。当時の自分には、その区別がつかなかったのです。
職場に戻ってみると、はじめは「やればできる」という感覚がありました。でもそれは長くは続きませんでした。少しずつ、体が重くなって、朝起き上がるのがまたつらくなって、頭が働かない感覚が戻ってきました。
「なぜまた」という気持ちは強くありました。「あれだけ休んだのに、なぜ」という自己嫌悪。「やっぱり自分には無理なのか」という絶望感。ただ、主治医に相談すると、「波があるのは自然なことです」と言われました。回復は一直線には進まないということ、体調が戻ってきたように見えても、まだ十分に回復していない段階で無理をすると、また崩れることがある、という話を聞いて、少し楽になった記憶があります。
「波がある」というのは、弱さではないと、今は思うようにしています。うまくいかない日があることは、回復していない証拠ではなくて、ただ「今日はそういう日だった」というだけのことだと。でもこれは、頭でわかっていても、気持ちの上でそう受け取れるかどうかは別の話で、今も上手くいかない日はたくさんあります。
一つ正直に書いておくと、今もまだ「情けない」「申し訳ない」という気持ちはゼロではありません。完全に消えた、という段階には来ていないのです。でも、そういう気持ちが出てきたときに、以前ほど激しく自分を責めなくなった気はします。「またそういう気持ちが来たな」と、少し距離を置いて見ていられる瞬間が、少しずつ増えてきた感じがします。
「休むことは逃げではない」というのは、言葉としてはよく聞きます。でも自分の中でそれを本当に信じるようになるには、まだ時間がかかりそうです。それでいいのかもしれない、と今は思っています。焦らなくていいと、自分に言い聞かせながら、今日も過ごしています。
もしこの記事を読んでいる方の中に、今同じような場所にいる方がいたら、「あなたが弱いわけではない」と伝えたいです。体が限界を知らせているとき、涙が止まらないとき、朝起き上がれないとき、それは「がんばりが足りない」のではなくて、「もう十分すぎるほどがんばってきた」からかもしれません。
つらさがひどいとき、消えてしまいたいような気持ちになるとき、眠れない日や食べられない日が続くときは、どうか一人で抱えないでほしいと思います。主治医や、心療内科・精神科などの専門機関、あるいはお住まいの地域の相談窓口に、話してみてください。すべてを一度に解決しなくていい。話すだけでも、違うことがあります。
診断書をもらった日のこと、今の自分が思うこと
あれからしばらく経って、うつで休職中という状況は変わっていません。毎日がきれいに整っているわけではなくて、調子がいい日もあれば、起き上がれない日もあります。「よくなっているのかどうか、自分では正直わからない」という日もあります。
でも、一つ変わったことがあります。「休んでいる自分は情けない」という気持ちに、少しだけ反論できるようになりました。「情けなくはない。今は休むことが必要な時期なのだ」と。完全に信じられているわけではありませんが、そういう考え方が、少しずつ自分の中に根を張ってきた感じがあります。
診断書をもらったあの日は、「休んでいい」という許可を外側からもらった日だったのだと、今は思っています。でも本当に必要な許可は、自分自身から自分自身に与えるものなのだ、ということも、少しずつわかってきました。それがどれほど難しいことか、も同時にわかってきましたが。
うつの状態にあると、「未来が見えない」という感覚がやってくることがあります。今の自分がずっと続くような気がして、出口がわからなくなる。筆者もそういう気持ちになることがあります。ただ、「今がずっと続く」とも、「必ず元通りになる」とも、断言できる人は誰もいないのだと思います。回復には個人差があるし、波があるし、時間がかかることもある。それはつらいことですが、「どうなるかはわからない」ということは、「悪い方向にしかいかない」という意味でもないのだと、自分に言い聞かせています。
今、同じような経験をしている方に、一つだけ伝えられるとしたら、「自分を責めるのを、少しだけ後回しにしてもいい」ということです。責めたくなる気持ちはわかります。「なんでこうなってしまったのか」「なんでこんなに弱いのか」と思うことは、おそらく止められません。でも、そういう気持ちが来たとき、少しだけ「それはまた後で」と置いておく練習を、少しずつしてみてもいいかもしれない。
できない日があっていい。休んでいていい。そう思えない日があっても、それでもいい。そういうことを、誰かに言ってもらえたら少し楽になれる人がいるかもしれないと思って、あえてここに書いておきます。
この記事に書いたことはすべて、筆者個人の体験と感じ方に基づくものです。医療的なアドバイスや治療の提案ではありません。心身の状態が心配なときは、必ず専門家や医療機関にご相談ください。
診断書をもらった日のことまとめ、それでも前を向こうとしている話
最後に、この記事で書いてきたことを改めて振り返ってみます。
職場で涙が出て、心療内科を受診して、診断書をもらったあの日。そこにたどり着くまでにも、たどり着いてからも、「情けない」「申し訳ない」という気持ちはずっとあり続けました。診断を受けたときに「ほっとした」という感覚があったことも、今だから書けることで、当時はその感覚自体に戸惑いがありました。
休んでいるうちに少し動けるようになり、早めに職場に戻ったこと。そしてまた体調を崩したこと。そのたびに自分を責めたこと。そういう経緯も含めて、正直に書いてみました。うまくいかなかったことも、うまくいかなかったままここに書いています。それは「こうすれば失敗しない」という話ではなく、「こういうことがあった」という記録です。
診断書をもらった日のことは、まだ自分の中で完全に整理できていません。でも、整理できていなくてもいいのかもしれない、と最近は思うようにしています。完全に腑に落ちていなくても、少しずつ自分のペースで、その経験と向き合っていけばいい。
回復には時間がかかります。波があります。個人差があります。そういうことを、この記事を書きながら改めて自分自身に確認しました。読んでくれた方が、少しでも「自分だけじゃないかもしれない」と感じてもらえたなら、書いてよかったと思います。
もし今、心がとても苦しい状態にある方は、どうか一人で抱え込まないでください。主治医や、心療内科・精神科などの専門機関、地域の相談窓口に、つながってほしいと思います。この記事はあくまで筆者個人の体験であり、医療的な情報の代わりにはなりません。専門家への相談を、どうか大切にしてください。

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