「もう以前の自分には戻れないんじゃないか」。そう思ったのは、休職してしばらく経ったある夜のことでした。ベッドの中で天井を眺めながら、かつての自分が遠ざかっていくような感覚を味わいました。うつで休職している当事者として、この「普通」に戻れない不安は、今もわたしの中にあります。ただ、少しずつ、その不安との付き合い方が変わってきました。この記事では、同じような気持ちを抱えている方に向けて、わたし自身の体験と、そこから見えてきたことをお伝えしたいと思います。医療的な助言ではなく、あくまでひとつの当事者の体験として読んでいただけると幸いです。
「普通」に戻れない不安が生まれる理由を当事者の視点で考える
まず最初に、この不安がどこから来るのかを、自分自身の体験をもとに考えてみたいと思います。
働き続けるのが難しくなって休むことにした当初、わたしは「休めばまた元通りになる」と信じていました。少し充電すれば、以前のようにてきぱきと動けるようになる。好きだったことを楽しめるようになる。そう思っていたのです。ところが、日が経つにつれて、以前の自分に「戻る」どころか、ますます遠ざかっていく感覚に囚われるようになりました。
具体的には、こんなことが起きていました。朝起きると、理由のわからない涙が出ていました。眠ってばかりの日もあれば、まったく眠れない夜もありました。以前は好きで続けていた読書や料理が、まったく手につかなくなりました。「自分は怠けているだけではないか」「もともとこういう人間だったのでは」と、自分を責める声が頭の中でぐるぐる回り続けていました。
特に印象に残っているのは、休職から二か月目のある日曜日のことです。以前だったら夕食の下ごしらえをしながらラジオを聴いて、それなりに充実した夕方を過ごしていたはずでした。でもその日のわたしは、冷蔵庫を開けたまま何も取り出せずに、しばらく立ち尽くしていました。「何をどうしたらいいかわからない」という感覚が、まるで霧のように頭を覆っていたのです。その後はソファに戻って横になるしかなく、「こんな自分は本当に回復できるのだろうか」という考えが、何度も頭をよぎりました。
そういった状態が続くなかで、「全力で頑張ること」がだんだん怖くなっていきました。以前は当たり前にこなせていたことに、今は大きなエネルギーが要ります。それができない自分を目の当たりにするたびに、「やっぱり戻れていない」という確認になって、不安が深まっていくのです。
「普通」に戻れない不安は、単なる気のせいではなく、疲れ切った心と体が発しているリアルなサインです。自分の変化に気づいているからこそ、不安になる。それは、感覚が生きている証拠でもあると、今は少し思えるようになりました。
一般的に、うつなどによって心が疲弊した状態から回復するには、思った以上に時間がかかると言われています。「休めばすぐ元通り」とはならないことが多く、回復の道のりは直線ではなく、波を繰り返しながらゆっくりと進んでいくものだと、主治医からも教えていただきました。良くなったと思ったら落ちる。また少し持ち直す。そのくり返しの中で、「自分は本当に良くなれるのか」という疑問が頭をもたげてくることは、決して珍しいことではありません。
また、「以前の自分」という基準を心の中に置き続けていると、今の自分は常に「足りない存在」として映ります。以前ができていたこと、以前のペース、以前の感情の動き方、以前の体力。そういったものをものさしにして今の自分を測るたびに、「普通」に戻れない不安は強化されていくのです。これは、休職中の方がよく陥りやすいパターンのひとつだとわたしは感じています。
さらに、周囲の環境も不安を強めることがあります。SNSを開けば、元気そうな人たちの日常が流れてきます。「今日はこんな仕事を終わらせた」「週末はどこそこへ出かけた」という投稿を見るたびに、「みんなはちゃんとやっているのに、自分だけが止まっている」という感覚が募っていきました。それが余計に「自分は普通じゃない」という意識を深め、不安を再燃させていました。休職中はSNSから距離を置くことが助けになる、と主治医に言われたのも、こういう理由があったのだと後から理解しました。
もし今、似たような気持ちを抱えているとしたら、まずその不安を感じていること自体を、責める必要はないと伝えたいのです。それは、自分の変化に敏感であることの裏返しです。そして、その敏感さは、これから先の自分を守るためにも必要な感覚かもしれません。
「普通」に戻れない不安と少しずつ距離を置けるようになった過程
不安を感じることは自然なことだと書きました。では、その不安とどう向き合ってきたか。正直に言えば、うまく向き合えた日ばかりではありませんでした。それでも、少しずつ変化があったことを、この章でお伝えしたいと思います。
最初の大きな変化は、「戻ろうとすること」をいったんやめてみたことでした。正確には、意識的にやめようとしたというより、続けることができなくなった、という感じです。「以前の自分に戻る」という目標を掲げ続けること自体が、すでに心の負担になっていることに気づいたのです。
夫に「最近どう?」と聞かれるとき、以前は「早く良くなって戻らなきゃ」という焦りの言葉ばかりが出ていました。でも、あるとき「戻れないかもしれない」と正直に話したら、夫は「そうか、それでもいいんじゃないか」と静かに言ってくれました。その言葉が、思っていた以上にわたしの力を抜いてくれました。誰かに「戻れなくてもいい」と言ってもらえることの力は、想像以上に大きいものでした。
次に変わったのは、「普通」という言葉の意味を問い直すようになったことです。わたしが「普通の自分」と呼んでいたのは、一体どんな状態だったのでしょうか。振り返ってみると、それは「体に無理をかけながらも動き続けていた自分」でした。疲れていても休まない、限界でも声を上げない、感情を後回しにして役割をこなす。そういった状態を、わたしは「普通」と呼んでいたのです。
「普通」に戻れない不安の裏には、「以前の無理な自分」に戻りたいという矛盾が隠れていることがあります。それに気づいたとき、少しだけ、「戻れなくてもいいかもしれない」という気持ちが芽生えました。
とはいえ、簡単に「よかった、これで前向きになれた」とはなりません。今でも、「全力でやれない自分」を見るとき、悲しい気持ちになることはあります。以前できていたことができない現実は、やはり寂しいものです。その悲しさも、なかったことにはしたくないと思っています。
ただ、最近は「仕方ないかな」と半分あきらめに似た気持ちが出てきて、少し吹っ切れた感覚もあります。あきらめというと後ろ向きに聞こえるかもしれませんが、わたしにとってそれは、「ありもしない過去の自分を追いかけることをやめた」という意味に近いです。
実際にやってみて、少し助けになったことをいくつか記しておきます。
- 今日できたことを、小さくてもいいので一つだけ書き留める。「お茶を一杯飲んだ」でも十分です。
- 「以前の自分」と比べるのではなく、「昨日の自分」と比べるようにする。昨日より少し動けた、それだけで十分だと考える。
- つらさを誰かに話す。夫でも、主治医でも。一人で抱え込まない。
- 「戻らなきゃ」という言葉が浮かんだとき、そのまま受け取らず、「また戻ろうとしてるな」とただ眺める。
- 回復には波があること、直線には進まないことを、何度も自分に言い聞かせる。
どれも劇的な変化をもたらすものではありません。でも、小さなことの積み重ねが、少しずつ「普通」に戻れない不安の輪郭を変えていったように感じています。
また、一人で抱えることには限界があります。つらさが続くとき、消えてしまいたいような気持ちになるとき、眠れない・食べられない状態が続くときは、主治医や専門機関、あるいはお住まいの地域の相談窓口に、ぜひ頼ってほしいと思います。一人で解決しようとしなくていい。そのことは、わたし自身が休職を通じて何度も思い知らされてきたことです。
「普通」に戻れない不安を深めるよくある失敗と、その先にあるもの
ここでは、わたし自身が実際にやってしまい、かえって不安を強めてしまった行動や考え方をいくつか取り上げたいと思います。同じ轍を踏まないようにする手がかりとして、読んでいただけたら幸いです。
まず、よくやってしまった失敗のひとつが「回復の証拠を探し続けること」でした。今日は少し動けたかな、食欲が戻ってきたかな、と自分の状態を逐一確認しては、「やっぱりまだ全然ダメだ」と落ち込むことを繰り返していました。これは、体温計を一分おきに確認するようなもので、かえって神経を消耗させていました。回復を確認しようとすること自体が、不安を呼び込む行為になることがあります。それに気づいたのは、休職から四か月ほど経ってからでした。
次に、「休み方を間違えていた」という失敗もありました。「せっかく時間があるんだから、何か有益なことをしなければ」という考えが抜けず、本を読んで知識をつけようとしたり、軽い運動をしようとしたりしていました。しかしそれは、休みではなく「生産的な時間を過ごさなければ焦り」を別の形で発散しているだけでした。本当に疲れ切っているときに必要なのは、何もしなくていい時間です。「普通」に戻れない不安を抱えながら休んでいるとき、「ちゃんと休めているか」という焦りもまた、心を消耗させる原因になります。
また、「回復した人の体験談を読みすぎる」という行動も、結果的にわたしには逆効果でした。「数か月で職場復帰できた」「こんなふうに克服した」という前向きな話を読むたびに、「自分はなぜそうならないのか」という比較が始まり、焦りが募っていきました。人の回復の速度や方法はそれぞれ違います。他者の成功体験をそのまま自分に当てはめようとすること自体に、無理があったのです。
こういった失敗を経て、わたしは少しずつ「回復のための正しい方法を探す」ことをやめるようになりました。正しい方法よりも、今のわたしに合っていること、今の自分の状態に無理のないこと、を優先するようになりました。それは、「治そうとする」から「休む」へと、方向性を転換することでもありました。
この転換は、主治医との会話の中で少しずつ育まれたものです。「何をすれば治りますか」とわたしが聞くたびに、先生は「まず何もしないことです」と繰り返してくれました。当初はその答えが物足りなく感じていましたが、今はその言葉の意味が少しわかります。何かをしようとする力が湧いてくるまで、ただ待つことも、回復の一部なのだと思えるようになりました。
「普通」に戻れない不安を抱えながら、今ここで生きることについて
回復とはどういうことなのか、休職中に何度も考えてきました。「元通りになること」が回復なのか。それとも、変わってしまった自分が新しい場所に立つことが回復なのか。正直、今もまだ答えは出ていません。
ただ、ひとつわかってきたことがあります。それは、「今ここにいる自分」を出発点にしなければ、どこにも進めないということです。以前の自分を基準にしている限り、今の自分は常に「不足した状態」として映ります。でも、今の自分を出発点にすると、「ここから何ができるか」という視点が少し生まれてくる。
それは「あきらめ」ではなく、「現実に立つ」ということだとわたしは思っています。現実に立つことは、決して簡単ではありません。でも、ありもしない過去の自分を追い続けることよりも、少しだけ楽かもしれない。
うつで休職しているということは、体と心が「限界だ」と声を上げた結果です。その声を無視し続けた末に、今ここにいる。それはつらいことですが、声を上げてくれた体と心のことを、もう少し信頼してみようという気持ちもあります。
全力で頑張ることが怖くなった、という感覚は今もあります。以前のように走れない自分が、怖くもあり、悲しくもあります。でも同時に、「全力で走り続けることだけが正解ではなかったのかもしれない」という考えも、少しずつ育ってきています。
「普通」に戻れない不安は、回復の過程でほぼ誰もが経験することです。その不安を感じていること自体が、あなたが怠けているのではなく、正直に自分の状態を見つめているからだと、わたしは思います。
回復には個人差があります。早い人もいれば、時間がかかる人もいます。波があって当たり前です。「良くなった気がしたのに、また落ちてしまった」という体験は、珍しいことではありません。その波のたびに「やっぱりダメだ」と責めるのではなく、「また波が来たな」とただ見る練習を、少しずつ続けています。
わたし自身、主治医に「波が来たときはどうすればいいですか」と聞いたことがあります。答えは「何もしなくていい。波は必ず引く」というものでした。そのときはぴんとこなかったのですが、波が来るたびにこの言葉を思い出すようになって、少しずつ「この感覚もいずれ変わる」と思えるようになってきました。強い感情は永遠には続かない、という事実を体で覚えていく作業のように感じています。
今、もしこの記事を読んでいる方が「自分も同じだ」と感じているとしたら、少しだけ肩の力を抜いてほしいと思います。「戻らなければ」という焦りは、自然な気持ちです。でも、焦りが強くなりすぎているとき、消えてしまいたい気持ちが出てきているとき、食べられない・眠れない状態が長く続いているときは、一人で抱え込まないでください。主治医や心療内科・精神科などの専門機関、地域の相談窓口に連絡することは、弱さではなく、自分を守るための大切な行動です。
この記事はあくまでわたし個人の体験に基づいたものであり、医療的な助言ではありません。体験の内容は個人によって異なり、同じうつでも回復の道筋はひとりひとり違います。自分の状態については、必ず専門家にご相談ください。
「普通」に戻れない不安のまとめ、休みながら見えてきたこと
この記事では、うつで休職中のわたし自身が感じてきた「普通」に戻れない不安について、体験をもとに書いてきました。最後に、今の時点で言えることをまとめます。
まず、「以前の自分に戻れないのでは」という不安は、休職中に感じる非常に自然な気持ちです。その不安を感じることは、あなたの弱さでも怠けでもありません。変化に敏感であることの表れです。そしてその敏感さは、自分の状態を正直に見ているからこそ生まれるものです。責める材料ではなく、自分の感覚が働いている証だと、少しずつ受け取り直すことができるかもしれません。
次に、「普通」というものさしを一度見直してみることが、不安の輪郭を少し変えてくれることがあります。「以前の自分」が本当に健全な状態だったのかどうか、立ち止まって問い直してみることには意味があります。無理を重ねていた日々を「普通」と呼んでいたなら、その「普通」に戻らなくていい、という視点が生まれることもあります。
また、回復を妨げるよくある失敗として、「回復の証拠を探し続けること」「他者の体験談と自分を比べること」「休んでいるのに何かをしようとすること」があることも書きました。これらはすべて、焦りから来る自然な反応ですが、気づいたときに少しずつ手放していくことが助けになります。
そして、回復は直線ではありません。波を繰り返しながら、ゆっくりと進んでいくものです。「良くなったのにまた落ちた」は、失敗ではなく、回復の過程のひとつです。「普通」に戻れない不安を感じながら休んでいる今も、あなたはしっかり歩いています。
焦らなくていい。比べなくていい。できない日があっていい。それは逃げではなく、自分を守る選択です。
つらさが強いとき、眠れない・食べられないが続くとき、消えてしまいたい気持ちになるときは、どうか一人で抱え込まないでください。主治医や専門機関、地域の相談窓口に頼ることは、回復のための大事な一歩です。
この記事がひとりでも多くの方にとって、少し息がしやすくなるきっかけになれば、それ以上のことはありません。あなたのペースで、休んでいていいのです。

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