好きなことができなくなった時期に起きた5つの変化と、少しずつ取り戻していく話

好きだったゲームを起動しても、何も感じない。積んであった本を開いても、文字が頭に入ってこない。以前なら時間を忘れて夢中になれたはずのことが、まるで別の人の記憶のように遠く感じる。これは、うつで休職することになってから、自分が経験したことのひとつです。

この記事では、好きなことができなくなった時期に自分の中で起きた変化を、できるだけ正直に書き残しておこうと思います。同じような感覚を抱えている人に、「ひとりじゃないかもしれない」と少しでも思ってもらえたら、それだけで十分です。医療的な診断や治療の話ではなく、あくまで筆者個人の体験と感じ方として読んでいただければ幸いです。

なお、つらさがとても強いとき、消えてしまいたい気持ちがあるとき、眠れない・食べられない状態が続いているときは、ひとりで抱え込まず、主治医や心療内科・精神科などの専門機関、またはお住まいの地域の相談窓口に話してみてください。この記事はその代わりにはなれませんし、なろうともしていません。

好きなことができなくなった時期に気づいた、心と体の5つの変化

休職に入る前後から、自分の中にいくつかの変化があることに気がつきました。当時はそれが「変化」だとも認識できていなくて、ただ「なんかおかしい」「自分はおかしい」とぼんやり感じていただけでした。少し時間が経ったいま、あのころを振り返って整理してみると、大きく5つのことが起きていたように思います。

1. 楽しいという感覚そのものが薄くなった

最初に気づいたのは、ゲームをしていても「楽しい」という感覚が湧いてこないことでした。好きなシリーズの新作が発売されてコントローラーを手に取っても、頭の中がどこかぼんやりしていて、画面の中の出来事が自分に届いてこない感じがありました。「楽しいはずなのに、なぜ楽しくないんだろう」という違和感が、じわじわと積み重なっていきました。

これは怠けているとか、飽きたとか、そういうことではありませんでした。意欲がないというより、感情の入口そのものが細くなってしまったような感覚でした。喜びや楽しさを受け取る窓口が、少しずつ閉まっていくようなイメージです。うつによるものかどうかを自分で断定することはできませんが、振り返ると、あの感覚は体調の悪化と重なっていたと思います。

「楽しめない自分はおかしい」と責めていた時期が、一番しんどかったかもしれません。楽しめないこと自体よりも、楽しめない自分を責め続けることのほうが、消耗する。そう気づくまでに、だいぶ時間がかかりました。

2. 時間がたっぷりあるのに、何もする気になれなかった

休職に入ると、それまで仕事に使っていた時間がそのまま空白になります。何十時間もある一週間を、どう過ごせばいいかわからない。やりたいことはない。でも横になっているだけでは時間が進まない。「暇」という状態が、これほど苦しいものだとは知りませんでした。

何かをしようとしても体が重くて動かない。かといって、何もしないでいると焦りと罪悪感が募ってくる。夫がそばにいてくれたことで、完全に孤立した感覚にはならずに済みましたが、それでも昼間のほとんどの時間は自分ひとりで過ごすことになります。その静かさが、時に重たくのしかかってきました。

時間があり余っているのに何もできない、という状態は、周囲には「ゆっくり休めていいね」と見えるかもしれません。でも当事者には、「休んでいる」ではなく「何もできない」という感覚のほうが近かったです。充電されている感覚ではなく、ただ止まっている感覚。それがずっと続いていました。

3. 「これは楽しかったはず」という記憶と、いまの感覚がかみ合わなかった

休職からしばらく経ったころ、少しずつ以前の趣味を試してみることにしました。ゲームを起動したり、好きだった動画を開いたり。でもそこで気づいたのは、記憶の中の「楽しさ」と、いまの自分の感覚のあいだに、大きなズレがあるということでした。

「以前はこれが好きだったはずだ」という情報は頭の中にある。でも実際にやってみると、その楽しさを感じる回路が、うまく動いていないような感じがします。半ば義務感のように「やってみなければ」と動いている自分がいる一方で、本当に楽しんでいるのかどうかわからない自分もいる。この二つが同時に存在していて、どこか居心地が悪い。

それでも、完全にゼロではなかった。ときどき、ほんの一瞬だけ「あ、少し面白いかもしれない」と思える瞬間がありました。一時間やって一瞬だけ、という割合でも、その一瞬があることは大切だと感じています。「以前と同じには楽しめないこと」を、失敗だと思わないようにしたいと、いまの自分は思っています。

4. 無意味感と、それと共存することの難しさ

好きなことができなくなると、何をしていても「意味があるのだろうか」という感覚がついてきます。ゲームをしても意味がない。外を歩いても意味がない。ご飯を食べても、ただこなしているだけ。生活のあらゆる行動から「意味」や「手応え」が抜け落ちてしまったような感覚が続いていました。

この無意味感は、怠慢や甘えから来るものではないと、いまは思っています。心が疲れているときに起きやすい状態のひとつで、自分の意志や性格とは別のところで起きていることだ、と。ただ当時は、そう割り切れなくて、「自分は何もできない人間だ」という思いに引っ張られることが多かったです。

夫に話を聞いてもらいながら、少しずつ「意味がなくてもやってみていい」という感覚に近づいていきました。すべての行動に意味を求めなくてもいい。時間をつぶすためにゲームをしても、それはそれでいい。そう思えるようになるまでに、それなりの時間がかかりました。

5. 回復の感覚が、思っていたより静かだった

「回復する」というと、ある日突然元気になって、好きなことが楽しくなって、という劇的なイメージを持ちがちです。でも実際には、そんなことはありませんでした。回復の兆しは、とても静かなものでした。

ある日、ゲームをしていたら少しだけ先が気になった。次のシーンを見たいと思った。それだけです。大きな喜びでも感動でもなく、ただほんの少し、気持ちが前を向いた、というような感覚。でもそれが、長いあいだ感じていなかったことだったので、終わってから「あれ、今ちょっと楽しかったかもしれない」と気づきました。

まだ以前のようには楽しめていないし、毎日そういう瞬間があるわけでもありません。波があって、調子が悪い日はやっぱり何も感じられません。それでも、ゼロではないと感じられることが、少しずつ増えてきました。回復には個人差があって、波があって、一直線ではない。それがこの数カ月で実感していることです。

好きなことができなくなった時期を、少しずつ乗り越えるために試してみたこと

「こうすれば治る」という答えは、自分には持っていません。医療的な助言も、この記事にはできません。ただ、自分が試してみてよかったこと、心がけていたことを書き残しておきます。同じような状況にいる人が読んでいるとしたら、「こういうやり方もある」という参考程度に受け取っていただければと思います。

ハードルをできるだけ低く設定する

以前は何時間でも没頭できたゲームを、いまの自分に同じように求めることをやめました。「一日五分でいい」「タイトル画面を見るだけでいい」という感じで、行動のハードルを限界まで下げることにしました。

最初は「五分しかできなかった」と感じていましたが、徐々に「五分できた」という見方に変わっていきました。できたことに注目するのはなかなか難しいですが、少しずつ練習しているところです。

完璧にやろうとしない。以前の自分と比べない。いまの自分のペースで、いまの自分にできることをする、という姿勢を大切にしています。それでも比べてしまうことはあるし、そういうときはしんどい。でもそれを責めないようにする、というのも含めて、少しずつやっています。

「楽しむため」ではなく「時間をすごすため」と割り切る

好きなことを再開するとき、「楽しめるかどうか」を目標にすると、楽しめなかったときに落ち込みやすくなります。そこで発想を変えて、「時間をすごすための手段として使う」という視点を取り入れてみました。

暇な時間をどう埋めるか、というだけの話として考えると、楽しめなくても「まあやってみた」で終われます。楽しめたらラッキー、楽しめなくてもそれはそれ、という感じです。これが意外と気持ちをラクにしてくれました。

「好きなことを楽しまなければいけない」という義務感を持ちすぎると、それ自体がプレッシャーになります。義務感を手放して、ただそこにいるだけでいい、という姿勢が、じわじわと気持ちを軽くしてくれたように思います。

夫に話を聞いてもらう

ひとりで抱えていると、無意味感や焦りがどんどん膨らんでいきます。夫に「今日は何もできなかった」と話すだけで、少し息ができるようになる感覚がありました。解決策を出してもらうわけでもなく、ただ聞いてもらうだけで、違うのです。

すべてを話せるわけでも、うまく言葉にできるわけでもありません。でも「つらい」という一言を受け取ってもらえる人がいることは、休職中の生活の中でとても大きな支えになっています。

もしそういう人が近くにいない場合は、主治医や専門機関に話してみることが、ひとつの選択肢になります。一人で全部抱えることはしなくていい。誰かに話す、ということ自体に意味があると、この時期に改めて感じています。

主治医への報告を続ける

心療内科を受診して、定期的に主治医に状態を報告しています。「好きだったことが楽しめない」「時間の使い方がわからない」という話も、診察のたびに伝えるようにしています。

主治医に話すと、自分の状態を客観的に見てもらえます。「それは回復の過程でよくあることです」と言われるだけで、自分が異常ではないという安心感が生まれることがあります。医療的な判断は専門家にしかできませんし、素人の判断は危険なこともある。だからこそ、定期的に診てもらい続けることを大切にしています。

つらさが強くなったとき、変化に気づいたとき、「これを話していいのかな」と思うようなことも、主治医に話してみることをおすすめします。診察の時間はとても短いですが、それでも専門家に状態を見てもらうことは、自分を守るうえで大切なことだと思っています。

「できない日があっていい」を繰り返し自分に言う

調子が悪い日は何もできません。以前楽しめた一瞬が戻ってこない日もあります。そういうとき、昔の自分なら「なんでできないんだ」と責めていたと思います。

いまは、「できない日があっていい」という言葉を、意識的に自分に言い聞かせるようにしています。一回言っても焦りは消えませんが、何度も繰り返していると、少しずつ自分への責め方が和らいでくる気がします。

できない日があっていい。休んでいい。今日は何もしなくていい。それはさぼりではなく、回復のために必要な時間かもしれない。そう思えるようになるには練習が要りますが、少しずつ、自分に優しくする練習を続けています。

記録をつける

「今日、ゲームを少しやった」「昨日より少し動けた」という小さなことを、日記のような形でメモするようにしました。気持ちを整理する目的もありますが、後から振り返ったときに「あのころより今のほうが少し動けている」と確認できることがあります。

全体としては波があって、良くなったり悪くなったりしますが、記録があると「完全に後退したわけではない」ということが見えやすくなります。感覚だけに頼っていると、つらいときに「ずっとつらかった」と思いやすいので、記録が一種の客観視のツールになっています。

きれいに書こうとしなくていいです。一言でも、ひと言でも。その日何をしたか、何を感じたか、それだけで十分だと思っています。

好きなことができなくなった時期を振り返って、いまの自分が思うこと

休職中に好きなことを楽しめなくなるのは、怠けや甘えではありません。少なくとも自分の場合は、そうではないと感じています。もちろんこれは個人の体験であって、すべての人に当てはまるとは言えません。でも、同じような感覚を持っている人がいたとしたら、「あなたのせいではないかもしれない」と伝えたいです。

いまも、以前のようには楽しめていません。ゲームをしても、三十分で疲れることがあります。それでも、まったく何も感じなかったころよりは、少しだけ変わってきた気がします。ほんの少し、気持ちが動く瞬間が増えてきた。それが回復なのかどうかは、自分では判断できませんが、悪くはない変化だと思っています。

急がなくていい。以前と同じにならなくてもいい。少しずつ、自分のペースで。そう思えるようになるまでに時間がかかりましたし、いまでもそう思えない日があります。それでも、そういう言葉を自分に向けることを、続けていきたいと思っています。

夫がそばにいてくれること、主治医が定期的に診てくれること、それが自分の今の支えです。ひとりで全部やろうとしなくていい。誰かに頼ることは、弱さではない。この時期に、何度もそれを実感しています。

この記事はあくまで筆者個人の体験にもとづくものであり、医療的な助言ではありません。心身のつらさが続いているときは、ぜひ主治医や専門機関に相談してみてください。

好きなことができなくなった時期のまとめ、そして少しずつ前を向くために

この記事では、うつで休職することになってから経験した、好きなことができなくなった時期の変化と、その中で試してきたことを書いてきました。最後に、大切だと思ったことを振り返ります。

楽しめない自分を責めない。これが、一番難しくて、一番大切なことだと感じています。楽しめないのは、怠けや甘えではなく、心と体が疲れているサインかもしれない。そう少しずつ自分に言い聞かせることが、回復への小さな一歩になっていると思っています。

ハードルを下げて、時間つぶしでもいいから動いてみる。楽しもうとしなくていい。ただ起動するだけでもいい。以前のようにできなくてもいい。そういう小さな積み重ねが、いつの間にか少しずつ気持ちを変えていくことがあります。

回復は一直線ではなく、波がある。調子が悪い日があっても、それが全てではない。良くなったり悪くなったりしながら、少しずつ進んでいく。それが自分の経験から感じていることです。

そして、ひとりで抱えない。夫でも、主治医でも、地域の相談窓口でも。「つらい」という一言を誰かに受け取ってもらえることが、孤独感を和らげてくれます。もしそれが難しければ、心療内科や精神科、またはお住まいの地域にある専門の相談機関に話してみてください。あなたが今感じていることは、話していい。受け取ってもらっていい。

この記事はあくまで筆者の一体験であり、医療的なアドバイスではありません。同じように好きなことができなくなった時期を過ごしている人の、ほんの少しの支えになれたなら、書いてよかったと思います。

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