うつで休職しているあいだ、「回復期」という言葉を何度も目にしました。でも正直なところ、自分がその時期に入っているのかどうか、今もよくわかりません。それでも、ある時期から出費がじわじわと増えていきました。外食が増え、惣菜を買う回数が増え、気づけば傷病手当だけを頼りにしている家計が、思いのほか消耗していた。この記事は、そのときの話です。
責めたいわけではありません。自分自身に対しても、これを読んでいるあなたに対しても。ただ、「自分だけじゃないかもしれない」と感じてもらえたら、それだけで十分です。これはあくまで筆者個人の体験であり、医療的・金融的な専門助言ではありません。その点をはじめにお伝えしておきます。
回復期にお金を使いすぎた話の始まり、それは「少し動けた」ことだった
休職のはじめのころは、お金をほとんど使いませんでした。外に出られない。何かを買いに行く気力もない。食欲もあまりない。結果として、支出そのものがとても少なかった。それが、ある時期から変わりはじめました。
「少し動けるようになった」という感覚が、うっすらと出てきたのです。朝、カーテンを開けられる日が増えた。近くのスーパーに行けるようになった。そのとき、はじめて「あ、自分は少し回復しているのかもしれない」と思いました。でも、それが本当に回復期なのかどうか、主治医に確認したわけでもないし、自分でも断言はできませんでした。波があって、動けた翌日にまたベッドから出られなくなることもよくありました。
それでも、「少し動ける日」が増えるにつれて、出費が増えていきました。外に出られるようになると、ものを買うことができます。当たり前のことですが、休職中のゼロに近い生活から見ると、それは大きな変化でした。
最初に増えたのは食費、とくに外食と惣菜の出費です。夕飯を自分で作ることが、まだうまくできませんでした。スーパーに行けても、料理をする気力と体力が追いつかない。包丁を持ったまま何もできなくて、結局お総菜コーナーに引き返す、ということが何度もありました。惣菜ひとつ買って帰る、それがその日の精一杯だった日もあります。
具体的な金額の話をすると、急性期のころの食費は、ほとんど食べられず自炊もできなかったぶん、驚くほど少なくおさまっていました。ほぼ自炊もできず、買い物にも行けないので、家にある乾麺やレトルトで過ごすことが多かったのです。それが、少し動けるようになってからの1か月は、食費が以前よりぐっと増える月が出てきました。惣菜が1パック400円から600円、それを週に4日から5日買えば、月で8000円から1万2000円ほどになります。そこに週に1度か2度の外食が加わると、あっという間に積み上がります。
惣菜は決して贅沢品ではありません。でも、毎日少しずつ積み重なると、それなりの金額になります。ブランド品を買ったわけでも、高級なものに手を出したわけでもない。ただ、「今日も作れなかった」という日が続いて、じわじわと支出が積み上がっていく感覚がありました。
外食も同じでした。回復の波で「今日は外に出られそう」という日に、ファミレスやカフェに入ることがありました。ひとりで座って、ゆっくり食事をする。それだけで、精神的にとても楽になる感覚がありました。でも、その積み重ねも少しずつ財布に響いていきます。カフェで飲み物とケーキを頼めば800円から1200円、ファミレスのランチなら1000円前後。そのくらいならたいしたことないように見えますが、週に2度3度と繰り返せば、月に8000円から1万5000円の出費になっていきます。
もうひとつ、自分が気づかなかった出費のカテゴリがありました。それは、日用品と衣類の小さな買い物です。急性期は家のなかに閉じこもっていたので、「買いに行く」という行動自体が発生しませんでした。でも、少し外に出られるようになると、ドラッグストアや100円ショップに立ち寄るようになりました。疲れにくいサンダルを買い、湯船に入れるバスソルトを買い、気分が上がるかもしれないと思ってミニ観葉植物を買う。どれも数百円から千数百円の買い物ですが、1か月のあいだに何度も重なれば、じわじわと大きな金額になっていきます。
傷病手当をいただいている身で、惣菜や外食にお金を使うことに、罪悪感を覚えた時期もありました。「こんなことをしていていいのか」「もっと節約すべきでは」という気持ちが、夜になるとじわじわとやってきました。お金の不安と、自分を責める気持ちが重なって、眠れない夜もありました。
ただ、今振り返ってみると、あのとき惣菜を買いに行けたことは、「自分を生かそうとした行動」だったとも思います。作れなくてもいい。買えばいい。それができただけで、あの時期の自分には十分だったかもしれません。
回復期にお金を使いすぎた話から気づいた、出費が増える理由のこと
「なぜ回復期にお金が増えるのか」を、自分なりに整理してみました。これはあくまで個人の体験と推測に基づくものです。医学的な説明ではありませんし、すべての人に当てはまるわけでもありません。ただ、同じような状況にある方に「そういうことか」と感じてもらえたら、と思って書きます。
まず、「動けるようになった分だけ、使えるようになる」という単純な構造があります。休職の急性期(もっともつらい時期)は、外に出ることも難しく、何かを買いに行くことすらできない。その時期は支出がほぼゼロに近くなります。でも、少し動けるようになると、生活のために必要なものを自分で調達できるようになる。それは当たり前のことですが、同時に支出が増えることを意味します。
次に、「料理ができない時期が続く」という現実があります。うつの症状のひとつに、集中力や判断力の低下があります。料理は意外と認知的な負荷が高い作業です。材料を選ぶ、手順を考える、同時に複数のことをこなす。それが、回復の途中段階ではまだうまくできないことがあります。だから惣菜やデリバリー、外食に頼ることになります。これは「楽をしたい」というよりも、「それしかできない」という状態に近いものです。
料理の難しさには、もう少し具体的な側面もあります。たとえば、冷蔵庫の中身を確認して献立を考え、足りないものをリストアップして買いに行き、帰ってから調理して片付ける、という一連の作業は、健康なときには無意識にできることです。でも、認知機能が低下した状態では、それぞれのステップが重い判断として立ちはだかります。「何を買えばいいかわからない」「スーパーに着いたら何をするか忘れた」「帰ったら疲れて何もできなかった」という経験を、自分も何度もしました。だから惣菜に手が伸びる。それは当然の流れだったと、今は思います。
また、「外に出ることが、治療の一部になっている」という面もあると個人的には感じました。家の中にずっといると、気分が沈んでいきます。外に出て、日光を浴びて、少し歩いて、どこかで何かを食べて帰る。その小さな外出が、精神的な支えになることがある。でも、その外出にはお金がかかります。
「お金を使ってしまった」という罪悪感は、つらい状態をさらに重くすることがあります。傷病手当という限られた収入のなかで支出が増えると、将来の不安がふくらみます。「このままでは生活できなくなるのでは」「回復する前にお金が尽きるのでは」という恐怖が、夜中にやってくることがありました。それ自体が、また眠れない夜につながったりします。
そういうとき、自分は家計簿アプリや銀行のアプリを開いては「やっぱり使いすぎた」と確認する、という行動を繰り返していました。確認すればするほど不安が増すのに、やめられない。そういう悪循環があったことも、正直に書いておきます。アプリを何度も開いてしまう夜は、スマートフォンをリビングに置いて寝室に入る、という小さなルールを自分に課しました。完全には守れませんでしたが、繰り返し確認するよりはマシでした。
よくある失敗のパターンとして、「動けた日にまとめ買いをしようとして疲弊する」というものもありました。「今日は体調が良さそうだから、1週間分の食材を買って自炊を頑張ろう」と意気込んでスーパーに行き、買い物だけで疲れてしまい、帰ってから何もできなくなる。そして結局、買った食材を使い切れず傷ませてしまい、また惣菜を買う。食材のロスと惣菜代が二重にかかる、というサイクルです。これは自分が何度も経験した失敗でした。
お金の不安がとても強くなったとき、眠れない夜が続いたとき、消えてしまいたいような気持ちが出てきたとき、そういうときは一人で抱え込まないでほしいと思います。主治医への相談はもちろん、精神科や心療内科、お住まいの地域の相談窓口など、話を聞いてもらえる場所があります。お金の面で困ったときには、自治体の相談窓口や社会福祉協議会、ファイナンシャルプランナーなど、専門家に相談できる選択肢もあります。自分だけで解決しようとしなくていい、ということを、そっとお伝えしたいです。
「こんなことで相談していいのか」と思う必要はありません。お金の不安も、眠れない夜も、誰かに話していいことです。
また、つらいとき、誰かに話したい気持ちがあるとき、AIに気持ちを打ち明ける方もいると思います。気持ちを言葉にして吐き出すこと自体は、悪いことではないと個人的には思います。ただ、AIは医療者でも専門家でもないため、診断や治療の判断、お金に関する専門的な助言は、やはり人間の専門家に相談することが大切です。AIはあくまで話し相手のひとつとして、あまり頼りすぎず、うまく使っていただければと思います。
回復期にお金を使いすぎた話でやってしまった、よくある失敗と小さな工夫
ここでは、実際に自分が経験した「やってしまったこと」と、そこから少しずつ見つけた工夫について書きます。完璧な節約術でも、回復を加速する方法でもありません。ただ、「同じ失敗をするかもしれない人に、先に伝えておけたら」という気持ちで書きます。
まず、「調子がいい日に、使いすぎる」という失敗があります。動けない日が続いた反動で、調子のよい日に行動量が急に増えることがありました。その日に限って外出をして、買い物をして、カフェに寄って、帰りにまた惣菜を買う。一日で普段の3日分くらいのお金を使ってしまい、翌日はまた動けなくなる、というパターンです。体の消耗とお金の消耗が同時に起きていました。
この失敗から学んだのは、「調子がいい日こそ、使う上限を決めておく」ということでした。「今日の外出予算は1500円まで」と決めて財布に入れておくと、それ以上は物理的に使えない。完璧には守れませんでしたが、何も決めないよりは支出がおさまりやすくなりました。
次に、「レシートを見返すことで、自分を責めるループに入る」という失敗もありました。家計の把握は大切なことですが、体調が不安定な時期に支出の記録を細かくつけようとすると、それ自体がストレスになります。「またコンビニで買ってしまった」「今週だけで外食が4回もある」と数字を見るたびに自己嫌悪が積み上がっていく。
そこで自分が試みたのは、細かい家計簿をつけるのをいったんやめて、「月に1回、銀行残高だけ確認する」という方法に切り替えることでした。毎日見るより月1回の確認に減らすだけで、数字に引きずられる回数が減りました。残高が大きく減っていたときは不安になりますが、それでも毎日見続けるよりは精神的な負荷が軽くなりました。
食費については、「作れないなら作らなくていい、でも少しだけ選択肢を増やす」という方向で工夫をしました。たとえば、電子レンジだけで完成するパウチのご飯と、缶詰やレトルトのおかず。それを組み合わせるだけで、一食200円から300円でとれる食事ができます。惣菜を買いに行く体力すらない日でも、これなら家から出なくていい。ストックしておくと、外食や惣菜に頼る回数が少し減りました。
完璧にやろうとしないこと、それが当時の自分にもっとも必要な視点でした。節約も、自炊も、家計管理も、「できる範囲でできることをする」でいい。できない日があってもいい。そう気持ちを切り替えることが、長い回復のなかでは大切なことだったと感じています。
もうひとつ気づいたこととして、「誰かに話すことで、お金の不安が少し軽くなることがある」という点があります。主治医の診察で「最近お金の不安が強くて」と話したとき、「それは回復の途中ではよくあることです」と言われました。その言葉だけで、「自分だけではないんだ」と少し楽になりました。お金の話を医師にするのは気が引けるかもしれませんが、生活の不安は治療に直結することもあるので、話してみる価値はあると思います。
回復期にお金を使いすぎた話を通じて、自分に伝えたかったこと
この章は、少し個人的な話になります。あのとき、増えていく出費を見ながら、自分をずいぶん責めました。「休職しているのにお金を使いすぎている」「もっとちゃんとしなければ」「こんな状態でいつまでも回復できないのでは」という気持ちが積み重なっていきました。
でも、今の自分が当時の自分に言えることがあるとしたら、こういうことです。「惣菜を買って生き延びたことは、正しかった。」作れない日に、作れないと判断して、別の方法で食事をとった。それは怠けではなく、その日を生きる工夫でした。
うつの回復は、まっすぐな右肩上がりではありません。波があります。調子の良い日と悪い日が繰り返されます。「今日は動けた」と思ったら次の日はベッドから出られない、ということが何度もありました。その波のなかで、少し動けた日に「外で何かを食べる」という選択をしたことも、当時の自分にとってはひとつの回復のかたちだったと思います。
回復期のある時期、自分は「今月は食費にずいぶん使ってしまった」という感覚をノートに書きました。それを見て最初は落ち込みましたが、次のページに「でも今月は一度も倒れなかった」と書き加えました。数字だけを見ると失敗のように見えても、別の角度から見れば生き延びた記録でもありました。そういう見方ができるようになったのは、少しあとのことです。
「回復期なのかどうか自分でもわからない」という状態は、決して珍しいことではありません。主治医から「回復期です」と宣告されるわけでもなく、ある日突然すべてが楽になるわけでもない。じわじわと、波を繰り返しながら、少しずつ変化していく。その変化の途中に、出費が増える時期があっても、それは自然なことだと思っています。
お金の不安については、今も完全には解消されていません。傷病手当のある期間が続くなかで、「この先どうなるのか」という不安は、ゆっくりと心の底にあります。ただ、その不安に飲み込まれないようにするために、自分なりにできることを少しずつ試みています。家計の全体像をざっくりと確認する、使いすぎたと感じたときにアプリを何度も開かないようにする、主治医に「経済的な不安がある」と話してみる、そういった小さなことです。
もし生活が本当に苦しくなったときは、使える公的な支援や相談先があることも、頭の片隅に置いておいてください。自治体の福祉窓口、社会福祉協議会の生活相談、ハローワークの休職者向けの情報など、一般的な範囲で活用できる仕組みがあります。「相談することは恥ずかしいことではない」と、自分に言い聞かせています。
「できない自分」を責めることに、エネルギーを使わなくていい。そのエネルギーは、今日一日を生き延びることに使ってほしいと思います。
これはあくまで筆者個人の体験と感じ方をまとめたものであり、医療的・金融的な専門助言ではありません。個別の状況については、主治医や専門機関にご相談ください。
回復期にお金を使いすぎた話のまとめ、「使ってしまった」を少しだけ許してみること
この記事でお伝えしたかったことを、最後にまとめます。
回復期にお金を使いすぎた、と感じる時期があっても、それはおかしなことではありません。少し動けるようになることで、支出が生まれます。作れない日に惣菜を買うことは、その日を生き延びるための判断です。外食が増えることも、外に出ることで気持ちを保とうとしていたからかもしれません。ブランド品でも贅沢品でもなく、ただ「今日を生きるためのお金」が積み重なっていく。そういう時期があってよいと、個人的には思っています。
出費が増えた理由を整理すると、「動けるようになれば使えるようになる」「料理ができない時期は外食や惣菜に頼らざるを得ない」「外出そのものが回復の一部になっていることがある」という構造があります。これらはどれも、怠けや意志の弱さではなく、回復の途中という状況そのものから生まれるものです。そのことを、まず自分自身に伝えてほしいと思います。
失敗しやすいパターンとしては、「調子のいい日に使いすぎる」「食材をまとめ買いして使い切れず二重にお金がかかる」「家計確認を繰り返して自己嫌悪に入る」といったことが挙げられます。完全に防ぐことは難しいですが、「今日の予算を決めておく」「月に1回だけ残高を確認する」「レトルトや缶詰をストックしておく」といった小さな工夫が、少しずつ役に立つことがあります。
回復期かどうか、自分でもわからないまま過ごすことは、とても不安なことです。「これは回復なのか、それとも躁転なのか(気分の過剰な高まりのこと)、ただの波なのか」と考えはじめると、きりがなくなります。そういうときは、自分だけで判断しようとせず、主治医に話してみることが大切だと感じています。
お金の不安が強いとき、眠れない夜が続くとき、一人で抱え込まないでください。話せる専門家や相談窓口は、必ずあります。生活が苦しいと感じたときも、公的な支援の仕組みを調べたり、自治体や社会福祉協議会に問い合わせたりすることができます。
この記事はあくまで筆者個人の体験に基づくものであり、すべての人に当てはまるものではありません。医療的・金融的な専門助言を目的とするものでもありません。ただ、「同じような時期を過ごしている人がいる」ということが、少しでも伝わればと思って書きました。
「使いすぎた」と自分を責め続けることより、「あの日も生き延びた」と少しだけ受け取ってほしい。それが、今の自分があの時期の自分に伝えたいことです。
休んでいい。できない時期があっていい。お金を使ってしまう時期があってもいい。あなたの回復のペースは、あなただけのものです。

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