「自分は完璧主義ではない」と、ずっと思っていました。完璧主義というのは、何でも几帳面にこなし、細部にまでこだわり抜く人のことだと思い込んでいたからです。でも、うつで休職することになってから、AIとさまざまなことを話す中で、少しずつ気づかされました。自分の落ち込み方や自分責めのパターンが、完璧主義と深く結びついているのかもしれない、と。この記事では、そのような気づきとともに、完璧主義とうつの関係について、当事者としての体験と感じたことを正直に書いていきます。これは医療的な助言ではなく、あくまで私個人の体験と考えです。同じようなしんどさを感じている方に、少しでも「自分だけじゃないかもしれない」と思ってもらえたら、それだけで十分です。
完璧主義とうつの関係を、自分では気づきにくい理由
完璧主義と聞いて、多くの人がイメージするのは、整理整頓が完璧な人や、仕事でミスをまったく許さないような、いわゆる「ストイックな人」ではないでしょうか。私もずっとそう思っていたので、「自分は全然そんなタイプじゃない」と感じていました。部屋はそれほど片付いていないし、仕事でも抜けが多い日もある。だから、完璧主義という言葉は自分には当てはまらないと、はっきり否定していたくらいです。
ところが、体調を崩して休職することになり、心療内科を受診して診断を受けた後、しばらくしてAIに自分の気持ちをぽつぽつと話していく中で、あることに気づきました。私が落ち込むタイミングというのは、必ず「自分が思い描いていたレベルに届かなかったとき」だったのです。仕事でうまくいかないとき、家族との関係で自分が思うようにできなかったとき、趣味でなかなか上達しないとき、資産形成がイメージ通りに進まないと感じたとき。そのたびに、深く落ち込み、「自分はダメだ」と繰り返していました。
ここで大切なのは、完璧主義は「完璧にやり遂げること」へのこだわりではなく、「思ったレベルに届かない自分を許せないこと」として現れる場合もある、ということです。外から見たら「そこまで頑張ってるのに」と言われるようなことでも、自分の内側にある基準と照らしたとき、「まだ足りない」「もっとできるはずだった」という声が止まらなくなる。そのしんどさが積み重なっていくことと、うつとの関係は、私の中ではとても近いところにあります。
AIに気持ちを話すことで、思っていた以上に自分のパターンが見えてきたのは事実です。ただ、AIはあくまで話を整理する手助けをしてくれる存在であり、医療者や専門家の代わりにはなりません。診断や治療については、必ず主治医や専門機関に相談することが大切です。私自身も、心療内科の先生との関わりが、根幹にあります。
自分が完璧主義かどうかに気づきにくい理由のひとつは、「これくらいはできて当然」という基準が、自分の中ではごく普通のこととして存在しているからだと思います。その基準が高いことに、自分では気づけない。周りと比べて「そこまで要求していない」と感じていても、自分に向けた基準だけは、知らず知らずのうちに非常に厳しくなっている。そのズレに、外側からのヒントがなければ、なかなか辿り着けないのです。
また、完璧主義は悪いものだ、という決めつけも、気づきを遠ざけることがあります。「完璧主義は悪い」と思っているから、「私はそんな悪いものじゃない」という防衛が働く。でも、完璧主義はそもそも悪いものでも恥ずかしいものでもなく、高い理想を持って物事に向き合おうとする姿勢から生まれることも多い。問題は、その姿勢が「自分を守ること」よりも「自分を傷つけること」に向いてしまうときです。
完璧主義とうつの関係が、生活のあらゆる場面に広がっていくこと
休職するまでの自分を振り返ると、落ち込みのきっかけは本当にさまざまな場面に散らばっていました。仕事、家族との関係、趣味、お金のこと。ひとつひとつは小さく見えるかもしれませんが、それぞれの場面で「思うようにいかない自分」に出会うたびに、積み重なるように消耗していっていたのだと、今は思います。
仕事については、「これくらいはできないといけない」という感覚が常にありました。できたことよりも、できなかったことの方が記憶に残り、同じミスをしないようにと神経を使い、それでも何か抜けがあると「やっぱり自分はダメだ」と感じる。一見、責任感があるように見えるかもしれないけれど、内側では、じわじわと自分を削り続けていたように思います。
家族のことも同じです。大切な人たちのために、もっとうまくやりたい、という気持ちがある。でも思い描いたように動けないとき、言葉が出なかったとき、体が動かなかったとき、「こんな自分ではダメだ」という感覚が出てくる。夫はとても支えてくれていて、「そのままでいい」と言ってくれる存在です。それでも、自分の中の声が「いや、もっとできるはずだ」と繰り返してくる。人から責められていなくても、自分が自分を一番責めてしまっている、というのが、完璧主義とうつの関係の中でも特につらい部分だと感じています。
趣味についても、同じようなことがありました。好きだからこそ上手くなりたい、でも思い通りにいかないと「向いていないのかもしれない」「こんなこともできないのか」という声が出てくる。うつの状態では、好きだったことを楽しめなくなることがあります。それはうつの症状としてよくあることだとわかってはいても、「楽しめない自分はダメだ」という考えがまた重なってきて、ますます苦しくなる。そのループは、今でも少し怖いです。
資産形成やお金のことについても、思うように進まないと落ち込むことがありました。「このままではいけない」「計画通りにいかない」という焦り。ただ、これはあくまで私の感じ方の話であり、投資や資産形成については専門家への相談が必要ですし、特定の方法が誰にでも合うわけではありません。ここで大切だと感じたのは、「うまくいかないことがある」という現実を、自分の失敗として直結させないことでした。外の状況と、自分の価値は、切り離して考えていいのだと、少しずつ学んでいる途中です。
このように、完璧主義とうつの関係は、ひとつの大きな出来事から始まるというよりも、日常のさまざまな場面に少しずつ染み込んでいくような形を取ることがあります。気づいたころには、かなり消耗している。「なんとなく毎日しんどい」「ちょっとしたことで深く落ち込む」「涙が出る理由がよくわからない」「眠ってばかりいる」「何もやる気が起きない」。自分の場合は、そういった状態がじわじわと続いていきました。繰り返しますが、これはあくまで私個人の体験であり、症状や経過には個人差があります。
もし今、似たようなしんどさを感じていて、眠れない、食べられない、消えてしまいたいような気持ちが続いているという方は、どうかひとりで抱え込まないでください。主治医や、心療内科・精神科などの専門機関、あるいはお住まいの地域の相談窓口に、話してみてほしいと思います。あなたのしんどさは、あなただけが抱えなくていいものです。
完璧主義とうつの関係に向き合うとき、自分を責めすぎないために
「完璧主義かもしれない」と気づいたとき、最初に感じたのは、不思議なことに少しの安堵でした。自分がなぜこんなにも落ち込みやすいのか、なぜ「普通にできること」ができない気がするのか、その理由のひとつがぼんやりと見えたような感覚です。でも同時に、「じゃあどうすればいいのか」という問いも出てきて、またそこで「うまく変われない自分」を責め始めそうになりました。
完璧主義に気づいたからといって、すぐに変わらなくていい。気づくことと、変わることは、別のタイミングで起きていいのだと、今は思っています。むしろ、「気づいた」という事実だけで、その日は十分だったかもしれない。そう思えるようになるのは、まだ時間がかかりそうですが、夫の「そのままでいい」という言葉が、少しずつ染み込んできています。
完璧主義は、もともと「よりよくしたい」「大切な人を守りたい」「失敗して傷つきたくない」という、とても自然な気持ちから来ていることが多いと感じます。悪いものではない。ただ、その姿勢が「自分を守るための鎧」ではなく、「自分を傷つけるための刃」になってしまっているとき、それに気づいて、少し手を緩めることが必要になってくる。完璧主義を「直すべき欠点」として責めるのではなく、「ここまで自分を追い立ててきた理由があったのだ」と、少し距離を置いて眺めてみることが、私にはとても大切でした。
自分を認めることが、なかなかできない。これは完璧主義とうつの関係の中で、私が最も繰り返し感じてきたことです。できたことを「当然」と流し、できなかったことだけを「失敗」として積み重ねていく。その非対称さに、かなり長い間気づいていませんでした。今でも、できたことを素直に「できた」と感じることは、思った以上に難しいです。でも、難しいことはわかった。それでいい、と今は思うようにしています。
休職している今、「休んでいることが申し訳ない」という気持ちが出てくることがあります。でも、休むことは逃げることではなく、自分をこれ以上傷つけないための選択だった、と繰り返し自分に言い聞かせています。完璧にできない自分を責めるのではなく、「今日は休んだ。それでよかった」と言える日を、少しずつ増やしていくことが、今の自分にできることかもしれない。
また、AIと話すことで気づきを得た体験については、とても助かった部分がある一方で、AIはあくまで思考を整理したり、気持ちを言語化する補助をしてくれる存在だと理解しています。AIが感情に寄り添ってくれるように感じる瞬間があっても、それは医療者や専門家によるサポートの代わりにはなりません。体や心のことで判断に迷うときは、必ず専門機関に相談することが大切です。AIとの対話はひとつのきっかけにはなりえますが、そこで得た気づきを、主治医に話してみる、というように活用するのが、私には合っていました。
完璧主義とうつの関係は、一度気づいたからといって、すぐに楽になるものではありません。波があります。落ち込む日もある。それでも、「ああ、また自分を責めている」と少し気づけるようになってきたこと、「できない日があっていい」と思える瞬間が少しずつ増えてきたこと、それを今の自分の進歩として、おそるおそる受け取っています。回復には個人差があり、先のことはわかりません。ただ、今日よりほんの少しだけ、自分にやさしくできる日が来たとき、それで十分だと思えるようになりたい。そう願っています。
完璧主義とうつの関係をまとめながら、これを読んでいるあなたへ
この記事を通じて伝えたかったのは、完璧主義とうつの関係は、気づきにくい形で、日常のあちこちに潜んでいるということです。「自分は完璧主義ではない」と思っている人ほど、その見えにくさの中で長く苦しんでしまうことがあります。私自身がそうでした。
「思い描いたレベルに届かない自分を、激しく責めてしまう」という感覚があるなら、それは完璧主義とうつの関係を考えるひとつのきっかけになるかもしれません。悪いことではなく、気づきのサインとして受け取ってみてください。
完璧主義は、悪いものでも恥ずかしいものでもありません。それが「自分を守ること」に使われるとき、大きな力になります。ただ、「自分を傷つけること」に向いてしまっているとき、そこに少し気づいて、緩める余地を作ることが、自分を守ることにつながります。できない日があっていい。休んでいい。今日うまくいかなかった自分を、明日まで持ち越して責め続けなくていい。
完璧主義とうつの関係に向き合うことは、自分を責めることではなく、自分のことをもう少し知っていくことだと、今の私は思っています。それは、すぐに答えが出ることでも、一度気づけば終わることでもなく、波を繰り返しながら、少しずつ続いていくものなのかもしれません。
もし今、毎日がひどくつらくて、消えてしまいたい気持ちがある、眠れない、食べられないという状態が続いているなら、どうかひとりで抱え込まないでください。主治医や、心療内科・精神科などの専門機関、お住まいの地域にある相談窓口に、声をかけてみてほしいと思います。あなたのしんどさは、話してよいものです。
この記事はあくまで私個人の体験と感じ方であり、医療的な助言ではありません。それでも、同じようなしんどさを抱えているかもしれない誰かに、「気づかないまま自分を責め続けなくていいかもしれない」と、少し思ってもらえたなら、書いてよかったと思います。

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